お盆は、新盆があって福島へ行きました。ここは夫の叔母たちが暮らす義母の実家です。
代々の商家、大きな蔵もありましたが、先の震災で大きく傾き処分。
その時に高齢の叔母たちが、あれこれ整理して、博物館行のもの(たくさんのお雛さまとか)や、古いものが好きな人にもらっていただいたりで、もう蔵にあった”古いもの”はほとんど残ってはいません。
最後に少し残ったものの中から、夫が、「君が一番喜びそうなものが残っていたよ」と取り出してきたのが、この遊山弁当箱。
店の屋号、氏の名、箱書きには年代と、料亭か仕出し屋の名前も入ったもの。
時代は、嘉永4年とあります。1851年、ペルーが浦賀にやってくる2年前の、堂々江戸時代のお弁当箱です。
ご縁があって、お弁当アンバサダーのご依頼を受けてから、お弁当の歴史や文化を知る機会をいただき、ちょうど去年、この遊山弁当の歴史や変遷を詳しく知ったばかりでした。
観劇や幕内に食べるお弁当がインドアなら、さしずめこれは、今でいうところのアウトドアな趣向のための弁当。
花見、蛍狩り、月見、紅葉がりと日本の自然をめでるイベントは、当時の庶民にも嬉しい事だったでしょう。
遊山弁当箱には、江戸時代、趣向を凝らした螺鈿文様や、酒器もついていたので、これはかなりの簡素なもの。庶民の遊山弁当というところでしょうか?街の大きな行事の時に仕出し屋さんが注文を受けて町内に配ったものかもしれません。
名前があるのは、席表の代わりかなとか、想像をめぐらします。
年月を考えれば、十分に骨董とよべるものですが、保管が悪く、キズやはぎ合わせの傷みもあって、骨董としての価値は、ネットで調べたら5000円程度かなというところ。
でも、こうしてお弁当作りに燃えている私に貰われてきたのも何かのご縁。
お弁当仲間の詳しい人に、漆の修繕の方法を問い合わせているところです。
自分の仕事で伺う親の家片づけや、古家の継承での整理で、こうした古いものによく出会います。
修繕したくても、もうその技術がなかったり、いいものと分かっていても、保管ができずに泣く泣く手放さないとならないモノもある。
それもモノの寿命なのでしょう。
貰い受けたこれは、弁当箱だけでなくて、外側の木箱とのセットでいきるもの。持ち運びができる木箱あっての遊山弁当箱。
木箱もボロボロ、虫食いであちこち欠け落ち、開けるたびに木くずがこぼれ出ます。これも修繕が必要ですが、はて?木工ボンドで虫食い穴をふさぐ程度でいいものなのか?調べてみないとね。詳しい人がいらしたらぜひ、お知らせください。
この家には、私は血のつながりはないけど、縁あって、故人が残したこうしたものが、自分の元へめぐって来たからには、また新しく命を吹き込んでやりたくなるのです。
Instagram はじめました。フォローは↑から。YUKKESCRAP