年賀状の宛名を書きながら、喪中のはがきを重ねて、お悔やみのお葉書も…。
あぁ、あの方もお母さまとのお別れがあったのね。
お父様の心身の衰えにこころ砕いていた友人は、最期のお別れをしたのねと、
同年代の友人たちの今年の悲しいお別れのお知らせに、そっと手を合わせています。
友人のMさんが、お子様のいない遠縁の大叔父様の終末に立ちあわれ、身の回りの整理や、お世話を、実にお優しく尽くしていらして、親の介護も大変な時代に、Mさんだからできることだなと、感心していました。
それが、イラストレーターとう職業をこの世に生み出しご活躍された灘本唯人さんのお世話でした。
身の回りだけでなく、多くの作品もあって、その御遺品になる数々の作品を整理されたのは、Mさんのご子息のH君。
新宿で開催されている故・灘本唯人さんの「にんげんもよう展」に行ってきました。
おふたりにとっては、お優しくて、素晴らしく尊敬できる大叔父様でいらしたそうですが、こういう終末に向き合うことは、なかなかできない仕事です。
新進気鋭の写真家のH君だからこそ、ご存命中から写真集の編集や、個展の準備をすることができたのでしょう。
こう考えると、人は誰かしらが、誰かのお役に立つようになっているのでしょう。

優しいMさんを描いたご結婚のお祝いの作品。珍しい和服の女性画。
親の終末については、私は、振り返りたくない辛い思い出です。
思う存分に尽くしたわと、言う方もおいででしょうが、私のような不遜な娘は、情けないほどに思い出したくない辛い終末のお世話でした。
そんな気持ちを代弁するように、ブログ仲間のカリーナさんが、こんな記事を書かれていました。
わたしが親を看取ったのは、もう4年も前のことなのに、涙があふれて止まりませんでした。
カリーナさんも、今年お母さまを見送られています。
終末期の病院で、意思の確認のできない本人に代わって「決断の代行」を何度迫られたことか。
そしてその後に続く葬儀や、法要についても決断の代行は、いやおうなしに押し寄せてきて、なんども放り出したくなったことでした。
良かれとおもった決断に、周りの人は、いろいろな意見を重ねて、ときにはとても傷ついて疲れてしまう。
でも、それをみんなしてきているし、それでいいんだよと送った人はきっと言ってくれているかな?
わたしは、まだまだ、時々見送った両親が文句をいっていそうで、夢見が悪いときがあります。
新年を迎える前に、お墓まいりに行ってこようと思っています。
2016年12月15日~12月26日まで
@新宿三丁目 HCLフォトギャラリー新宿御苑 (新宿区新宿1-6-5)

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