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読んだ本 ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」~駐妻の憂鬱~

 つい最近、ムンバイの妹と呼んでいる友人がご家族をつれて日本を訪問。
さすがIT大国のインド人だけあって、フリーWifiを存分に利用して日本中を巡り、最後にようやく私と日程を合わせて、待ち合わせをしたのは、日本で一番大きいダイソーがある原宿竹下通りのマクドナルド。

 メッセンジャーで、「今ダイソーに居ます。家族はお土産いっぱい買ってます。マクドナルドで雨宿りしてます。」というメッセージには、グーグル地図が添付されていて。
「そこで待っていて、私が行くほうが早いから」と返信しながらも、どこも混みあう東京歩きはなかなか大変。

彼女とは、20年前、ムンバイの日本語スピーチコンテストで審査員をしたとき(なぜか、文庫のボランティアをしていた読書量の多い日本人という理由でわたしが審査員に)に出会いました。
 予選を通過したのち、本選に出場するにあたり、日本語のスピーチの仕上げを手伝って、その後の努力は並々ならず、入賞、日本へ。我が家にもしばらくホームステイをして、その後はムンバイの日本の大手総合商社に勤務という才媛です。
母語はムンバイのあるマハシュートラ州のマラティー語。もちろん英語も完璧。そしてたまらなく流暢な日本語を話します。

 英語圏外の途上国に暮らした私は、新しい生活がスタートするたびに、新地での生活構築に加えて、現地語の取得という辛い試練が待ち受けるという駐在。だから、日本語を勉強する学生さんとの交流は、とても楽しく、ありがあたい存在でした。

 ムンバイにいた時、ヒンディー語の先生に薦められて読んだのがジュンパ・ラヒリの「停電の夜に (新潮文庫)」。
夫の転勤でアメリカに暮らすインド人の妻が、土地の生活になれるまでの憂鬱、言葉へのコンプレックス、差別などなど、読みながら何度もわが身の境遇に重ね合わせて嗚咽しながら読みました。

 新しい言葉を習得するというのは、住めばなんとかできるようになるわけではありません。
いつになっても買い物では、最低限の用事を済ませられるだけの幼児語程度の進歩具合。
 必要な物は買えても、価格の交渉や、品質の評価や取り扱いについて質問できないし、別の選択肢の提案さえも聞き取れない。
まさに子どものつかい程度のレベルで買い物を済ませる日々。

ある程度、人生にも経験を積んだ中身は大人なのに、その思いや、気持ちを十分に言葉で伝えられないというもどかしさ。
言葉のハンデで、ついこもりがちになってしまうこともしばしばでした。
読んだ本 ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」~駐妻の憂鬱~_d0348118_10133278.jpg
 作者の両親はカルカッタ出身で、彼女はベンガル語が母語。英語は完璧で高い評価をうけた小説は、英語で書いていたラヒリ。
いつもの訳者・小川高義氏の名訳かと思っていたら、今回は、なんとイタリア語で書かれたエッセイで翻訳者も違う。
アイデンティティという難しい問題が根底にある作者の40代になっての英断に、はっと驚かせられたエッセイ「べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)」でした。

 いつも感じていたのは、言語には文化や歴史や、その土地の背景がすごく深くあること。
現地語を学ぶたびに、言い回しや日本語との対比ではニュアンスが違う単語にもおびえて。
それなのに、長年勉強してきたとはいえ、小説家が、新しい言語で随筆を書くというその心理はどんなものなのだろうと。

 私の周りには、語学が堪能で、道具として巧みに多言語を使う友人も多い。
とても羨ましく、尊敬もしてしまう。きっとそういう人は、耳も良いし、言語の交換スイッチのセンスも高いのだろう。

 まもなくアラ還という年になって、ますます語学の習得は、苦難の道。
いろいろな人生経験や、あちこちの国での体験は増えても、それで、ある程度わかった気分になっていた。
ずっと新しいことへの挑戦が遠のいていたけど、ちょっとだけ、新しい試みへの果敢な挑戦をみて、また励まされているのです。

いつも共感と励みをたくさんもらう、大好きな作家のひとり。これからの作品も楽しみだな。

by yukkescrap | 2017-05-31 10:14 | 好きな本スクラップ | Comments(0)

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