美しくて、明るくて、人懐こくて、お節介で、キッチュで…。
大好きな第二の故郷でもあるメキシコシティの惨状に、涙にくれています。
先週のチアパス沖を震源にする大地震で、チアパスや、オアハカに暮らす知人の安否を確認してホッとしていたところに再びの地震。
奇しくも32年前の同じ9月19日。再びのメキシコシティの大地震。
震源は、あの美しいコロニアルシティのプエブラ。スペイン風の陶器で有名な街です。

美しいプエブラのセントロのソカロ

カラフルなプエブラの街並み
しかし、メキシコシティでの被害の方が大きかった様子で、友人や、知人から続々と届くSNSでの安否報告と、今の街の様子。
動画や画像でみる懐かしい街並みや風景、いつも歩いていた大通りが、悲惨な状況になっていることに、胸が押しつぶされ、みなの怖かった様子に打ちひしがれています。
東日本大震災の時、メキシコシティにいた私は、当時、知らないメキシコ人からも、「日本人でしょ?ご家族は大丈夫でしたか?大変だったね。」とギュッと抱きしめられたことが何度もありました。優しいかの国の人の思いやりに触れてどんなに、心が暖められたことか。
私たちもひどい震災の経験があるのよと、1985年のメキシコシティ大地震の話をしてくれたり。
知人、友人の報告では、9月19日はメキシコでも防災の日。
午前中に各マンションや学校では、避難訓練が行われ、やれやれと家に戻ったところの大地震だったとか。
備えがあったとはいえ、石造りの家の倒壊の恐怖、治安の悪化を懸念しての非常事態宣言。
「 街路に人は溢れているのに街がひっそりと静まり返っている。」という報告。
あの笑い声が絶えない明るい街がひっそりとしているという様子に、ますます皆の心労を思います。
つぎつぎと私のタイムランにあふれ出てくる友人たちからの惨状と報告に、すっかり打ちひしがれてしまっています。
その中でも、早速、救援物資、食料を配る日本食レストランや、日系スーパーマーケットの皆さん、報道通訳や取材に駆け回る友人たち。あぁ、あの人があそこで頑張っていてくれる、あの人も…と。
メキシコに移民した日本人は数万人。駐在員も1万人以上です。
地震大国日本のみんなが手を取って動いている姿がなんとも逞しい。
今は、祈ることしかできません。
遠い故郷に思いを馳せて、「手を取りあって、どうぞ乗り越えて!」と祈るばかりです。

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