自粛を受け、おばあちゃん(義母)へのわたしの関わり方に変化があります。
89歳でお元気。
でも、なかなか「新しい生活」への変化は受け入れられないようす。
マスクもしばしば忘れて、毎日お出かけ。
歩けなくなることのほうがずっと心配らしい。
ターミナル駅周辺に暮らしているので人出が多い地域です。スーパーマーケットも混雑しているエリア。順番待ちも、気がせくから、人との距離もとり忘れてしまうのが高齢者。
美容院も毎月行かなくちゃ気が済みません。
緊急事態宣言中も、外出しないように食材や日用品もたっぷり送るも、やっぱり卵さえも、近くの成城石井じゃないとダメらしいの。
留守番電話設定もガンとして受け付けません。
この間、お掃除のヘルパーさんもお休みしてますから、それも心配。
わたしは、すごくハラハラして、時には注意を聴かないことにムッとしていましたけど、そう言うこともコロナのせいだと気がつきました。
自分自身も、この変化に柔軟に対応できたかといえば、戸惑うことばかりだったはず。
まして高齢になれば、新しいこと、若い人からの注意を素直に受け入れることが難しくなっているんだと改めて感じて、それも含めて、優しい気持ちにならないとなと思います。
今日はお風呂の給湯器が故障したんだそうです。
さて修理や交換はどうしたものじゃと夫があちこちに見積もりをとって指示するも、耳が聞こえず、品番の番号さえも読み上げてもらえず。
なかなか大変なので、今日も夫が駆けつけることになったのね。
お支払いの高額現金の引き落としや、耳が遠いための新しい装置の説明にも、やっぱり人が必要ですからね。
大急ぎで、冷凍してある甘辛煮の油揚げに、五目寿司の具(これも冷凍)でお稲荷さん。
同じく冷凍の錦糸卵をのせて夫にもたせたよ。
知らず知らず、コロナのせいで、おばあちゃんをひとりで責めていたんじゃないかな?って思いあたりました。いけない、いけない。
みんな色々な価値感をもち、生活習慣の変化への対応は様々だなって受け入れなくちゃね。