
お布団にすっぽり包まって本読みしてます。
すっかり寒くなったけどね、暖房いれるほどでもないし、重ね着してもじっとして本を読む時ってスースーしてどことなく寒い。
いつも最初はソファでお行儀よく、だんだん姿勢が寝転んで、そうなると寝室へ移動してすっぽりお布団に包まってしまうのです。
結婚して家を出た長女は、最初はスープの冷めない距離にいたのだけど、生田から箱根に近い足柄山の雑木林に新居を構えて引っ越して行く。
まだ作家のそばには、長男、次男夫婦が住んでいて、仲良しの家族の姿がそこにある。
小説は主に、長女からの「足柄山からこんにちは」という手紙が紹介されて、それに父親である作家が思いを綴る形で進んでいくの。届いた手紙はいつも妻が読み上げ、それを、ほぉ、へぇ、びっくり!しながら父親が聞くようすも綴られている。
長女からの手紙は主に、実家から届いた宅急便への返事。
普通なら、「荷物届いたよ、いつもありがとうございまーす。」って電話でだって済むところを、1つ1つ同封されたものへ感謝や喜びを綴り、その頃の家族の様子を丁寧に伝えているの。父親の作家はそれをまた読んで喜んだり、案じたりしてます。
内容はごくごく普通の日常でなのに、実にほのぼのとしてくるのね。
とにかく送っている品々が楽しい、それを全部書き出している。送るのは親から子へだけでなく、長女からの生田の両親とおすそ分けする兄家族宛もある。
だから往復宅急便。
荷物は近所の人たちからの到来物のおすそ分けであったり、母の手作りの服や、長女の焼いたケーキやパン、畑で採れた野菜だったりもする。
母が読み終えた小説もよく同封されて、長女はそれをありがたがって子育てしながら本読みを楽しむようすもすごく良いの。
何気なく手を貸してくれたり、届けたりしてくれる身近な人との交流もいい。
家の薪ストーブの薪を調達するために、近所の人との交流もある。
なんと長女の家は、この時代にしてもびっくりの(昭和60年代)、暖房は家の土間にある薪ストーブだけという暮らしなのね。
近所のお花を育てる人が週に何度もお花を届けてくれる話もあったな。
良い人ばっかり。
その上、家族がとっても仲良し。
脳梗塞を発症した父の元へ、長女は4人めの乳飲み子を背負って、都内の病院へ通って母を支えたりもしているのね。
ちょっとこの話は、人生フルーツの津端修一・英子夫妻のようでもある。
英子さんも、孫の花子さんへよくお荷物送っていたし、収穫した野菜たちは知人友人へいっぱい発送していたよね。
わたしも、今までたくさん両親や義父母から送ってもらっていたことを改めて思い出すよ。
娘は一時期、子猫をくわえた黒猫のお荷物が来るのが楽しみでした。
遠くインドネシアまで送ってくれた荷物には、おもちゃやカルピス、風月堂のゴーフル、CMを全部カットして録画してくれたサザエさんやドラえもんのビデオテープが入っていて何度も涙したことがあったよ。
今は、わたしも八ヶ岳から野菜や、自分でつくった煮豆やパンを孫たちに送っている。
家族に間で行き交う優しい小包にまつわる優しいお話に胸がいっぱいになったのでした。家族の絆ここにありって感じでした。