いつものばあば(アラ還暦)から、ばあば(来月91歳)への差し入れおかずです。
連休中はお見舞いにはいきませんでしたので、昨日と今日、夫が病院への通院付き添いです。

今日は、大きな蕗をみつけたので油揚げと煮て、いつもの白和えと、肉じゃが。
ストックに牛肉しかなかったので、珍しく関西風肉じゃがです。(我が家は東京風の豚肉肉じゃがが定番)。鯵フライも揚げて。
5回目の治療が終わりましたが、腫瘍はいっこうに小さくならず、むしろ大きくなってきているらしく治療の効果はみられない。
でも今のところ大きな体調の変化はないの。息切れはだいぶ酷くなってきているようでこれは心配ね。
要支援1の制度を利用してヘルパーさんをと思ったけど、本人が必要ないと言い張るので、援助が必要になるまでこのまま見守ります。
今のところ特に病気の症状がでないから、先生の説明はおおよそ判っても、本人はどっこも悪くないと思っています。
むしろ膝が痛くて外出できないから今日は整形外科を受診。
近所にできたペインクリニックに行きたいと言っているけど、すでにその段階ではない関節痛。
痛み止めを飲みすぎると効かなくなると信じ込んでいて、ロキソニンはちっとも減っていないから、よくよく説明しないとね。
薬用の理解もなかなか納得がいかない様子で、主人は帰宅するたびに、「ダメだ、いくら説明しても聞き入れない。ほとほと根負けだぁ。」と嘆いています。
新しいこと、自分の思い込んだことを変えるのは実に難しい年代なのよね。
実の親子でも難しいから、私は何も言えません。
先日、介護や看護、貧困や差別などに辛い思いをしている人への声かけに、
「いつでも言ってね。」という社交儀礼の声かけが、いちばん冷たい慰めだという話を聞きました。
ありますよね?こういうこと。
当事者じゃないから、あくまでも「困ったら言ってね」ということ。
いつでも言ってねと言ってくれた人に、ほんとに助けを求めることはほぼない。
優しさから言ってくださるのは、よくわかるけど、傍観してるだけというのもわかる。苦しい立場にある時、余裕も失ってトゲトゲしくなっているような時、こういう儀礼的である優しく聞こえる声かけも辛くかんじるのだわね。肝に命じておこう。