先月88歳で逝った大叔母(義母の妹、夫の叔母)の家の遺品整理と各種の手続きに福島へ。牡丹の花の名所に生まれ、生涯独身、生まれ育った家で亡くなる6日前まで暮らしました。ホスピスに入ったのは、たった6日間だけ。
終末は酸素ボンベを抱えての独居を7年続け、ほんとうに良く頑張ったよ。
庭の古木の牡丹が、あるじを亡くしても今年も咲いていたようです。
散り去った花びらを観ながら、大叔母を偲びました。
私は生前に貰うことえお約束していた桐の箪笥を、磨きにだす手配。
レトロな黄色の琺瑯ポットもいただいてきました。
残りの桐の箪笥2棹は貰い手が見つからないの。
かなり傷んでいて修理と手入れをしないと使えないので、一見、素敵な箪笥も引き取り手は難しいよね。修理には15〜20万円と言われましたもの。
夫はお役所と銀行を駆け回り。実子ではない甥ですから親族関係を示す謄本もとって手続きにあたります。銀行は一筋縄ではいきませんね。
私は住まいのインフラの中止連絡、スマホの解約、介護用品や酸素ボンベの返却などの残務整理。
プライバシーに関する書類と下着類の処分…と休む間もなく、短い2日間でやり遂げたら、やっぱり帰りの車では熱が出ちゃったよ。
住まいの中のものは家電品、日用品、衣類をまとめ整理分類が済んだので、あとは、故人のたくさんの手紙と私信、日記、写真とアルバム、アクセサリー、書画の類、代々の過去帳を分類まとめをして、納骨の日に親戚が集まってお形見分けの相談できるようにしてきたよ。
これらが各所に引き取られて整理されたら、この家は解体の予定です。
大きな商家だった蔵付きの家は、生前にリバースモゲージで売却して終身賃貸になっていたので、家のことでの問題はなくとっても良かったけどね。
期限までにおおよそを整理しておけばいいだけです。
終身まで独居というのはなかなか切ない。
わたしは片づけしながら、ときどき振り返って「おばさん、こんなの出てきたんだけどどうしますか?」と、もう、いないはずの大叔母を何度も呼んでしまいました。
疲れがとれるまで、しばらく東京でのんびりしてからから八ヶ岳に帰るわ。
故人の生きざまは、
住まい方にも良く現れていて、さて自分はどうすると、我が身にあわせていろいろ考えるよ。